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エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー映画『AMY』がDVDでリリース
イギリスのミュージシャンで2011年のグラミー賞を総なめにしたエイミー・ワインハウスのドキュメンタリー映画『AMY』を観た。彼女は、グラミー賞を受けた直後の、2011年7月23日、27歳でアルコールの過剰摂取で亡くなった。この映画を観ていると、死因は違え、同じく27歳で亡くなったカート・コバーンとダブってしまう。カートもそうだったが、突然の大ブレイクと巨大なセールスがエイミーを呑み込んでしまったのだ。エイミー・ワインハウスはデビュー・アルバムが65万枚のセールスをあげた。降り注ぐ成功に父親が狂い、恋人が狂う。そして誰よりもマスコミが狂う。パパラッチが狂う。エイミー自身もどう対応していいかわからない。彼女は精神的に不安定になった。
アートは他者が共有されてこそ。この映画の中で度々出てくる「エイミーは売れる準備が出来ていなかった」というセリフがエイミーの心情を象徴している。多くの人に共有されることによるマイナスの側面にいかに対応するか。それは決して小さくない問題だ(ちなみにビートルズはライブ活動を辞めることで自分たちを守った)。エイミーの「不幸」は終わらない。自分の苦しい状況を赤裸々に綴った「リハブ」がビッグヒットを記録。同曲を収録した『Back To Black』は前作の5倍のセールスをあげる。それをきかっけにマスコミの報道は加熱。パパラッチは今まで以上に彼女を狙う。エイミーは、そうやって、何もかも公衆の面前に晒され、どんどん追い詰められていく。それでもグラミーを総ナメにする頃には、彼女の心は持ち直していたが、2011年6月、再起をかけたヨーロッパ・ツアーに出る頃にはまたどん底に落ちてしまった。セルビアのフェスではステージに上がったものの歌えないという「事件」を起こし、ツアーはキャンセル。そして2011年7月、彼女に死が訪れる。前述したように、死因はアルコールの過剰摂取だった。映画にも出てくるが、「これ以上飲むと死ぬ」と宣告されていた。
ミュージシャンを扱う映画は2種類ある。ひとつはミュージシャンの音楽的功績を称える作品だ。もうひとつはヒストリーそのものに焦点をあてた作品だ。今回の映画は音楽的な功績よりも、エイミー・ワインハウスが一体どういう女性だったか、どういう境遇に置かれていたのか、にスポットを当てたドキュメンタリー作品だ。この映画は後者だ。家庭用ビデオや記録フィルムを駆使して、エイミー・ワインハウスが死に至るまでの「状況」を映し出す。だからといって、彼女を擁護しているかというとそうではない。あくまで冷静な視点から捉えている。父親や恋人を批判する映画でもなければ、マスコミやパパラッチを批判する映画でもない。もちろんエイミー・ワインハウスを批判する映画でもない。大ブレイクしていく中で、彼女が彼女でいるために必要だったもの(静寂や自分と向き合う時間や音楽に取り組む時間やライブステージについて考える時間)を手放し行く過程が淡々と記されているだけだ。「エイミーは売れる準備が出来ていなかった」。すべてはそこに尽きる。彼女が徐々に売れていれば、だいぶ状況は違ったと思う。今頃、フジロックのステージで歌っていたかもしれない。
考えてみれば、断片的な情報しか手に入らないぼくたちはエイミー・ワインハウスのことを「手に負えないぶっ飛んだミュージシャン」という印象で捉えていた。まさにパパラッチと彼らを雇ったタブロイド紙が作り上げたイメージだ。この映画を観ることで、その印象は随分と変わった。彼女にはそういうふうに追い込まれる過程と理由があったのだ。「奇行を繰り返すぶっ飛んだミュージシャン」という勝手に作られたイメージが、この映画によって、一掃されたことだけでも、この映画を観てよかったと思う。おそらく監督も、音楽的な評価よりも何よりも、まずはその誤解を解くことが目的だったのではないか。そうすれば後世に残るのはエイミー・ワインハウスの歌への正当な評価だけだからだ。単なるぶっ飛んだ歌い手があんなにすごいソウル・ミュージックやリズム&ブルーズを歌えるわけがない。一人のミュージシャンが経験した光と影。それは喩えなどではなく、自然界と同じく、光は影を伴いながらエイミーを覆い、不運にも、彼女は亡くなってしまった。そして、彼女の魂が宿った珠玉のソウルナンバーだけが世に残った。多くの先人たちがそうだったように、エイミーは亡くなったけど、彼女の歌は永遠に生き続ける。(森内淳/DONUT)
1月11日発売『AMY エイミー』特典映像
27 歳でこの世を去った歌姫(ディーバ)エイミー ・ワンハウスの生涯を描いた、傑作ドキュメタリーAMY(エイミー)
2017 年1月11日(水)ブルーレイ&DVDリリース!