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日本の音楽産業をつくった人物の物語 〜石坂敬一・著『我がロック革命 それはビートルズから始まった』書評
この本は、東芝EMI制作を経てユニバーサル社長~ワーナー社長を経ながら日本の音楽シーンに多大な貢献をした故・石坂敬一氏の自伝。石坂氏は昨年の12月31日に逝去。この本は2015年から2016年まで20時間以上に渡る取材をまとめたものだ。石坂氏はビートルズ担当として有名。しかし現役時代のビートルズ担当ではない。石坂氏がビートルズの担当になったのはバンド解散後。それなのに「ビートルズと言えば石坂敬一」と広く認識されている。それはどうしてかというと、石坂氏がビートルズの再評価の潮流を作ったからだ。
ビートルズの現役時代はレコーディング・アーティストとしての評価は一般的ではなかった。『リボルバー』や『サージェント・ペパーズ』といった優れた作品を作っていたにもかかわらず、アイドルというイメージが先行していた。もっと言うなら、来日公演までビートルズのファンは社会現象になるほど、たくさんいたわけではなかった。ビートルズが一般にも知られるようになったのはビートルズ来日公演の反対運動が起こってからだ。ビートルズ評論の第一人者である作家の松村雄策氏は同年代の人が「ビートルズは青春」とか言っている人にどうしてもひと言、言いたくなるそうだ。その松村氏も、ビートルズに対する正当な評価ができあがったのはビートルズ解散以降のことだ、と話す。つまりビートルズをリアルタイムで体験していないリスナーによって再評価が行われ、現在のビートルズの地位と評価が確立した。
そのビートルズ再評価に大きく貢献したのが石坂敬一氏。赤盤・青盤と言われるビートルズのベスト盤のリリースを担当した時、オリジナルアルバムに興味を持ってもらうようなブックレットを作成して封入した。今でこそビートルズのディスコグラフィーや研究本は充実しているが、当時は皆無だった。石坂氏が作ったブックレットは優れもので、アルバムのディスコグラフィーはもちろんのこと、石坂氏によるビートルズ概論、シングル盤、コンパクト盤のリスト、ゴールデン・アルバム、ミリオン・セラーのリストやイギリス盤のシングルのリスト、テープの発売リストまで掲載されている。極めつけはビートルズの全曲と作詞・作曲と誰がヴォーカルをやっているかが記されているリストだ。16頁しかないが、細かい活字でびっしりと埋まっている。ちょっとしたビートルズ読本だ。当時の洋楽シーンはこういう情熱によって支えられていたのだ。ちなみに、僕が最初に自分のお金で買ったレコードがビートルズの赤盤だ。14歳の僕は石坂氏が作った「ビートルズ読本」を穴が開くほど眺め、後に入手した曲に鉛筆で印をつけていた。
70年代、ロックはどんどん進化していった。プログレッシブ・ロック、ブルース・ロック、グラム・ロックなど、ジャンルもどんどん枝分かれ。情報量が圧倒的に少ない上に、複雑になっていく洋楽ロック。それを日本で売るためには試行錯誤が必要になってくる。その苦労や戦略もこの本に書かれている。僕も知らなかったのだが、当時、洋楽のアルバムに邦題をつけることも洋楽を売るキーだったという。ピンク・フロイドの『ATOM MOTHER HEART』に『原子心母』というタイトルをつけ、文化人の心理を巧みに操り、ヒットにつなげた話は痛快だ。石坂氏はジョン・レノンの死をきっかけに、邦楽にも力を入れる。松任谷由実や矢沢永吉や長渕剛を東芝EMIに誘ったり、BOØWYを売ったりした。忌野清志郎との信頼関係も厚く、それだけに『カバーズ』発売中止の時の苦悩は大きかったようだ。その辺りの忸怩たる思いも記してある。
石坂氏の戦略がインターネット時代にどれだけ通用するかは疑問だ。もはや洋楽のアルバムに邦題をつけたからと言ってヒットするとも限らない。情報がリアルタイムで入ってくる今、邦題を認識する前に洋題を共有してしまっている。石坂氏がこだわった「シングルこそヒットの基本」という考え方も今の時代では通用しない。ロックの研究書は溢れかえり、貴重な画像やミュージック・ビデオにも瞬時にアクセスできる。ストリーミングにおいて特典は無縁だ。もはやレコード会社のA&Rができることはなくなってしまったのか。いや、もし今、石坂氏が現役バリバリのA&Rだったら時代にアジャストした発想で音楽を売ったかもしれない。今までが石坂氏らが作った道筋を辿ってきたとすれば、新しいアイディアによる新しい道筋があるはずだ。それを作るのは現代のA&Rの仕事だ。
どうであれ、音楽産業には常に石坂氏のような裏方がいて、ロックは日本に広まった。ネット時代の黎明期に「音楽は無料で手に入れていいもの」という考え方が横行した。おそらくそういう人たちは、音楽制作の裏側に石坂氏のような人がごまんといて、その人たちが関わって初めて音楽が世に出るということを知らないのだろう。この本を読んでも、宣伝戦略だけでも計り知れない投資がなされていることがわかる。それは人件費という意味だけではない。ビートルズの時代から蓄積されてきた経験や知識や財産が投資されているのだ。そういう意味でも、音楽はもっとリスペクトされるべきだ。強くそう思った。ストリーミングしか知らない人にも読んでもらいたい一冊だ。(森内淳/DONUT)
『我がロック革命 それはビートルズから始まった』
著者:石坂 敬一
品番:978-4-19-864412-3
価格:2,300円+税
発行:東京ニュース通信社
<amazon>http://amzn.to/2tmGB2E