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但野正和が「闘う男」をテーマに綴る月イチ連載コラム

但野正和の「闘いはワンルームで」

2017/9/20

第2回:漫才道

価値観、目標、目的、ゴールなんてものは本来、各々が自分だけのものを抱いている。
それがどんなに理解できないことであったとしても。あくまで当人にとっての正しさであるが故、他人には馬鹿にしようがない。

売れていない音楽家の俺だって、俺だけの価値観で生きている。
まだまだ眠り足らないバイト休みに、無理やり布団から這い出てレッドブルを飲むのは、
限られた時間の中で、どうしても辿り着きたい場所があるからだ。

一日中毛布に包まり、横になったままポッキーを喰らい、本を読み、アニメを眺め、眠くなれば目を閉じる。そのように気持ち良く過ごすことだって可能な人生を削ってまで、世の漢達は腕を磨いている。

俺の場合は、音楽を仕事にも出来ていないので、現状ではどれだけやろうが時給も発生しない。
寧ろ金をかけてでも鍛錬する。
綺麗事のようだが、ここでの価値観は、最早お金では無い。


詞を書き、メロディに乗せる。
もしくは
メロディを歌い、詞を乗せる。

そうしてやっとの思いで、ザックリと完成したその歌を、更に磨き上げていく。

俺は絶望的に音程が不安定なので、まずはその練習は怠れない。(無論、音程だけが巧さでは無いが、目を反らしてはいけないほど重要なことだ。)

曲のアレンジを仕上げていくため、バンドメンバー各々が生み出したフレーズを、ひとつに合体させていく。

バンド演奏の一体感を出すため、スタジオでテンポを決め繰り返す。

そして、また詞を書きメロディに乗せる。もしくはメロディを歌い詞を乗せる。


延々と続くこのループは、誰でもなく自分自身が選択した道。

別に苦労自慢をしたいわけでは無い。
俺にとってのこの時間を、直接的にお金が発生する作業にあてる人もいる。それだってとても大変な行動だ。
貰える対価が違うだけ。それぞれ価値観が違っているだけのことだ。(じゃあ俺はお金じゃなくて、何が得られるのかをここで語る時間は無い。)

俺は天才でもなければストイックでもない。
ひたすらやるしか解決策が無いにも関わらず。それでも動けないことがある。倒れこんだまま、立ち上がれない夜がある。

そんなとき、俺はツイッターを見る。
自分自身を奮い立たせるための、自己啓発リストを作っていて。そこには、俺の好きな人物がジャンルに捉われず登録されている。
彼ら彼女らの、戦いの日々に触れ。それを原動力にして立ち上がろうという魂胆だ。(ちなみに逆の考えで、遊び歩いてばかりいる音楽家を集めた「反面教師リスト」もある。)

最近、その闘う男リストに追加されたのが、川瀬名人だ。
(俺はこの方の美しさを、ちゃんと伝えられるだろうか。)

知らない人のために説明するが、
彼は「ゆにばーす」というコンビのツッコミを担当していて、ネタの全てを産み出している。
そして、ゴッドタンというテレビ番組の「この若手がヤバイ2017」という企画で、第一位に輝いた経歴を持つ。(俺はこの放送で、彼の存在を知った)
その番組内で彼は「お笑いライブで、先輩や後輩と関わろうとしない」と指摘されているのだが。
それに対し「悪口みたいに言ってるが、それは正しいことだ」と反論。
おそらくこの正しさと言うのは、指摘した人には分からない正しさなんだろうと思う。

彼は漫才を愛している。
バラエティ番組に出ると漫才がブレるとの理由で出演したくないと言う。

漫才に魂の無い芸人には、先輩や後輩関係なく毒を吐く。

そして彼は、自らのことを「甲子園を目指す高校球児」に例える。
M-1グランプリでの頂点を、自らのお笑いのゴールに掲げ。優勝したら芸人を引退するとまで宣言している。
彼の言葉を借りるなら、まさに常人には考えられないことなのだが。
彼の眼には、本気の男の輝きがあり。それがネタで言っているわけではないことは明らかだ。

漫才を愛し。漫才に死ぬ男。
M-1で頂点に君臨するその瞬間まで。川瀬名人を見ていよう。

そして、そんな彼の姿を見て。
俺だって、自分自身に誇れる音楽道を歩いてゆこうぞと、また立ち上がれる。

 

但野正和「闘いはワンルームで」

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