ザ・クロマニヨンズ、70本のツアー終了!中野サンプラザ公演ライブ・レポート
ザ・クロマニヨンズの全国ツアー「JUNGLE 9 2015-2016」が終了した。全部で70本のロングツアー。これほど長いツアーをコンスタントにやる日本のバンドは、今や少ない。期間は半年。ほぼ2日に1度のペースだ。加えて、真島昌利(G)はましまろ、小林勝(B)はnil、桐田勝治(Ds)はGargoyleと別バンドでも活動。それぞれのバンドもライブ・ツアーをやる。クロマニヨンズもツアーがないときにはフェスやイベントに積極的に出演する。それを考えると、彼らはほぼ1年を通してライブをやっている。そういえば、甲本ヒロト(Vo)は「ライブをやるためにアルバムを出すんだよ」といっていた。その考えはザ・ブルーハーツ時代から変わらない。音楽シーン全体のCDセールスが今までの何倍もあった頃から、即ちライブの収益が今ほど重要じゃなかった頃から、彼らはライブに重きを置いていた。考えてみれば、ザ・ローリング・ストーンズもポール・マッカートニーもブルース・スプリングスティーンも延々とライブをやっている。ボブ・ディランに至っては「ネヴァー・エンディング・ツアー」と謳って、年間100本近くツアーを行っている。巨大な組織を動かす彼らにとってライブの収益は最重要。しかしそれ以上に、彼らからは、ライブをやらずにいられないという気持ちがより強く伝わってくる。ライブが楽しくてしょうがないのだ、きっと。だから、ストーンズやポールのロックンロール・ショウは何度観ても楽しい。それはクロマニヨンズも同じ。彼らが70本のライブを楽しんでいる以上、観ているこちらも楽しめる。
クロマニヨンズの全国ツアーはおおまかに前半と後半に分けられる。前半がライブハウスを中心としたツアー。後半が椅子席のあるホールをまわるツアーだ。90分間で20数曲を一気に演奏する彼らのスタイルを考えれば、オールスタンディングの会場の方が合っているように思える。オーディエンスも思う存分、暴れることができる。なかには椅子付きのホールで観るクロマニヨンズは面白いのか、という人もいる。しかしダイブやモッシュだけがクロマニヨンズのライブの醍醐味ではない。大騒ぎするための起爆剤としてロックンロールが機能するとすれば、それもまた一興。そういう要素を抜きにして、音楽の骨格と向き合うだけでも十分に興奮が得られるとしたら、尚面白い。二次的なカタルシスを抜きにしても、クロマニヨンズのロックンロールは楽しめる。筆者は、今ツアーのホール公演を2回観た。最初は3月20日の岡山市民会館。次が4月20日の中野サンプラザ。岡山は言うまでもなく甲本の地元。思い返せば、30年前から「ヒロトの地元でライブを観たい」といいつづけていた。それがようやく実現した。重い腰がようやく上がった。正確にいうと、岡山市民会館が重い腰を上げてくれた。去年まで、クロマニヨンズの岡山公演はライブハウスだった。ライブハウスの熱狂もいいが、甲本の地元で、地元のオーディエンスと一緒にじっくりと音楽とパフォーマンスを楽しみたかった。今年はいい機会だと思った。ステージの上はいつものクロマニヨンズ。しかし日比谷野音や日本武道館の例をあげるまでもなく、会場に対する観客の思い入れがライブの見え方を変えることがある。観ている方は30年分の思いが乗算され、感慨深いライブになった。中野サンプラザもロック・ファンにとっては特別な会場だ。ザ・クラッシュ、ザ・ジャム、ジョン・ライドン(PIL)、エルヴィス・コステロ……80年代は数多くの外国人アーティストがこのステージで演奏した。多分、甲本も真島もこのホールでたくさんのライブを体験したと思う。筆者もこの会場で数えきれないくらいのライブを観た。そのサンプラザはもうすぐ取り壊されてしまう。ロックの殿堂の灯は今まさに消えようとしている。灯が消える寸前で、クロマニヨンズがライブをやる。これもまた筆者にとっては特別なことだ。クラッシュからクロマニヨンズまで。ロックンロールは繋がっている。そういう思いでステージを観ていた。岡山市民会館と中野サンプラザ。どちらも足を運んで正解だった。
ここで中野サンプラザ公演のセットリストを振り返ってみる。オープニングナンバーは「生活」。最新アルバム『JUNGLE 9』の1曲目。クロマニヨンズはライブの1曲目に、最新アルバムの1曲目を演奏することが多い(甲本曰く「必ずそうするとは決めていない」そうだ)。次に「やる人」「ボラとロック」「生きてる人間」とつづく。この3曲も『JUNGLE 9』からのナンバー。「最後まで楽しんでいってくれ」という短いMCをはさみ「原チャリダルマ」「オバケのブルース」「夜行性ヒトリ」「俺のモロニー」とつづく。これまた『JUNGLE 9』からの選曲。つまり1曲目から8曲目までは「新曲」で埋められていた。クロマニヨンズのライブにおいて、これは珍しいことではない。彼らはいつも新曲を積極的に演奏する。アルバムだけではなく最新シングルのカップリング曲もエントリーされている。サンプラザ公演ではアンコール含め23曲演奏された。そのなかの13曲が「新曲」だ。ちなみに、過去のツアーでは、アルバムの曲順どおりにライブをやったこともあった。ライブの前半でアナログ盤のA面曲を演奏。途中で旧曲を挟み、アナログ盤のB面にうつるというセットリスト。レコードプレイヤーに針を落としたら、本物のクロマニヨンズが生演奏をはじめたような、そんな不思議な感覚に陥った。なぜ彼らはステージで新曲をやり尽くすのか。現役感をアピールするためなのか。そうではない。「最新作こそ最高傑作」という彼らの考え方が反映されているにすぎない。尽きないロックンロールへの欲望の表れが最新作だとすれば、これは当然の選曲。だからクロマニヨンズの全国ツアーは毎年セットリストがガラリと変わる。常に最新型のクロマニヨンズがステージの上に立っている。
前半のハイライトは「オバケのブルース」。ホール公演はライブハウス公演に比べてステージも広くなる。その分、少しだけセットが増える。今回は、たくさんの葉っぱで覆われたジャングル風の垂れ幕が追加され、よりジャングル感が高まった。「オバケのブルース」では、ジャングルで覆われたステージに、巨大な『JUNGLE 9』のキャラクターが登場した。クラゲのようなフォルムの(ツアーグッズの)ストラップを巨大化したキャラクター。それがステージの上から吊るされてゆらゆら動くのだ。ちなみに目も光る。ちょっと間抜けな感じがいい。思わず笑ってしまった。ジャングルのなかに現れたキャラクターは、いわば森の精霊。『もののけ姫』に出てくるダイダラボッチや木霊(こだま)のようなもの。あるいは水木しげるが戦時中ジャングルのなかで見た妖怪(精霊)。岡山市民会館でのライブの前、筆者は吉備中山の森のなかを彷徨っていた。本物の精霊のなかを闊歩していた。ホテルに戻り着替えて会場へ出かけたら、今度は作り物のジャングルのなかに作り物の精霊が現れた。このシンクロニシティに驚きつつ、人が作った精霊も悪くないな、と思いながらライブを楽しんだ。物事を対象化し創作された創造物は、その物事の本質をより的確に捕らえていることが多い。リアルよりリアリティ。それがアートの面白さだ。オバケとロックンロール。見えないけど見える。あのオバケは心のなかに存在するロックンロールの具現化でもある。アルバムジャケットもそうだが、クロマニヨンズのアートワークにはユーモアがある。黙っていれば硬派なイメージでいられるのだが、そこをあえて引っくり返す。甲本と真島はロックンロールのカリスマ。だけどそんなイメージを蹴飛ばす。それはクロマニヨンズによるクロマニヨンズに対する批評でもある。自分たちへのパンク。あるいは立派に見えることへの拒絶が根底にあるのかもしれない。クロマニヨンズが大御所というポジションに収まらない理由はそこにある。クロマニヨンズのユーモアはヘタウマ的な世界に通じているわけでも、毒舌的でもない。斜にも構えていないし奇をてらってもいない。ユーモアを真剣に極めようとする。真剣に人を喰おうとする。だから、ひとつひとつがアートとしてたしかな手応えと意味を持っている。それが彼らのアートワークをより高みへと押し上げている。
その後、ライブは中盤に突入。「ニューアルバムだけでは30分でライブが終わるから」というMCで、旧曲のコーナーへ。タイトルからは想像がつかないハードな楽曲「自転車リンリンリン」からスタート。甲本のハープが炸裂するブルース・ナンバー「底なしブルー」、オーディエンスが一番盛り上がる初期の名曲「タリホー」とつづく。その後、「突撃ロック」「炎」「エイトビート」とシングル曲を連発。アルバムを重ねていくと「代表曲」が増えていく。もはやこのコーナーに入りきれない名曲がたくさんある。そのなかでもベスト選曲で構成されるので、ライブ中盤は年を追うごとに充実していく。もはや90分のライブでは収まりきれないくらい。だからといって、長いライブをやると、凝縮感がなくなってしまう。ぎゅっと凝縮された時間のなかで持てるエネルギーをすべて爆発させる。そこから得られるカタルシスこそ、クロマニヨンズのライブの楽しさだ。ライブが終わったあと、「今の時間は何だったのだろう?」と放心状態になってしまう感じ。空っぽになってしまう感じ。ふらふらとコインロッカーへ向かうときの幸福感。これがクロマニヨンズのライブだ。
ライブは後半へ。『JUNGLE 9』から「這う」「中1とか中2」「今夜ロックンロールに殺されたい」の3曲を演奏。シングル曲「ギリギリガガンガン」「紙飛行機」でライブの興奮はピークに。『JUNGLE 9』の先行シングル「エルビス(仮)」で本編は終了。「エルビス(仮)」は究極のロックンロール・ナンバー。キング・オブ・ロックンロールの名前を冠した楽曲。「エルビスのゆがんだ唇」にこそロックンロールの真実がある。そう思っている。エルビスのゆがんだ唇を思い描くとき、自分のまわりのすべての壁がきれいさっぱり吹き飛ぶような感じがする。例えばTHE BOHEMIANSが「信じているのはロックンロールだけ」とうたうときに、Droogが「ロックンロール以外は全部嘘」とうたうときに発動される「強い力」を、「エルビス(仮)」のフレーズは象徴している。それはザ・ブルーハーツの「リンダリンダ」の「決して負けない強い力」にも繋がっていく。GOING UNDER GROUNDの「the band」も然り。ロックンロールに殺られた人なら、よりわかる感覚。それを全部肯定する歌。言いたいことを長々とは説明しない。テレビ番組のテロップとは正反対の世界。物語を組み立てるのはリスナーの感性。言葉がシンプルだからこそ様々な解釈(=物語)を生む。そういった曲たちがどんどん演奏される。シンプルなものほど深い意味を持つ。通り一遍の応援歌では動かない心を、必殺のフレーズが揺さぶる。今ツアーの最後を飾るのに、「エルビス(仮)」以上の曲はない。
そしてアンコール。シングル「エルビス(仮)」のカップリング曲「キングス・ガット・ミー」から始まり「雷雨決行」へ。最後に「ナンバーワン野郎!」を演奏して、中野サンプラザ公演は終了。あっという間の23曲。密度の濃い23曲。クロマニヨンズのステージには、60年代、ザ・フーやキンクスに触発されたアメリカの若者が音楽への愛情をガレージで爆発させた衝動が生きている。80年代のライブハウスにあった衝動は音楽がビジネスとして整備されるなかで、どんどん消えていった。それでもハイスタンダードやブラフマンのように、ライブハウスにあった衝動を信じる者たちがいて、結局、そういうバンドが新しいシーンを築くことになる。クロマニヨンズのライブには、今もなお、その衝動が生きている。この30年間、彼らはそこからブレることはなかった。それは甲本と真島がその衝動の面白さ(あるいは尊さ)を理解しているからだ。クロマニヨンズのライブはリスナーの背中を押し続ける。「ナンバーワン野郎!」を聴いたクロマニヨンズのファンがこうツイートした。「この曲を聴くと、俺の四畳半の部屋でガンダムが立ち上がるのが見える」。今は、次の新作とツアーが楽しみに待っている。(森内淳/DONUT)
セットリスト
- 1.生活
- 2.やる人
- 3.ボラとロック
- 4.生きてる人間
- 5.原チャリダルマ
- 6.オバケのブルース
- 7.夜行性ヒトリ
- 8.俺のモロニー
- 9.自転車リンリンリン
- 10.底なしブルー
- 11.タリホー
- 12.突撃ロック
- 13.炎
- 14.エイトビート
- 15.這う
- 16.中1とか中2
- 17.今夜ロックンロールに殺されたい
- 18.ギリギリガガンガン
- 19.紙飛行機
- 20.エルビス(仮)
- EN1.キングス・ガット・ミー
- EN2.雷雨決行
- EN3.ナンバーワン野郎!