カタヤマヒロキの「食べロック」
第4回:「色っぽいホッピー」
ホッピーが好きだ。ホッピーとは、昭和30年頃、ビールが高級でなかなか飲めなかった時代に誕生した。
ビール代用品として東京の中心部から話題が広まり人気を博した飲み物である。
地元の大分県では、ホッピーを飲んでる人はあまりいなかった。そもそも置いてる店もあまりなかったように思う。
東京へ来て、ホッピーを飲んでる人が沢山いた。焼酎のことを指す「ナカ」に、絶妙なバランスでホッピーのことを指す「ソト」を注ぐ。
マドラーで軽く混ぜ、ホッピーの瓶に「チリンッ」とマドラーを入れる。
ジョッキを飲み干したら「ナカ」だけ追加注文して、先ほどの「ソト」を注いで、また、ぐびり。
この一連の動作が、格好良かった。
ホッピーを飲んでいる人=飲兵衛、のような「通」っぽさを感じたのだ。
だから、そんな飲兵衛になりたくて、よくホッピーを飲んでいた。
すると、ビール代用品という認識が徐々に変わってきた。ホッピーにはホッピーの味があり、気付けばもう、その味が好きになっていた。
これが、ホッピーとの出会い。上京して、しばらく経った頃だった。
そんなホッピー愛好家の中で、特別な場所があると教えてもらった。それが今回紹介する「河本」。
昭和2年に誕生した木場の酒場で、ホッピーが誕生してから、ずっとホッピーをメインのお酒として扱い続けてきたお店だという。
飲兵衛にとって、このお店はある意味、聖地的存在、なんだとか。
ディープな噂を聞いて、勇気を出して行ってみようということになった。
2015年のことだった。
16時からお店が開くので、その15分前にお店へ到着。
「ここで合ってる……?」
思わず口を揃える。それくらい独特なオーラを放っていた「河本」。
そのあまりにも昭和な佇まいに、フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」のイントロギターが聴こえてきた気がした。
今にある一般的な飲食店とはまったく違う店構え。知る人ぞ知るお店!というオーラ。
それでも、常連のホッピー好きの人たちが毎晩集い、大人の隠れ家として賑わいをみせているのだ。
店内は大きな厨房をコの字でカウンターが囲んであり、その一角には常連さんしか座れない席がある。
招き猫や昭和の看板などが無造作に置いてあり、よくあるエンターテイメントの一環で演出しました的な昭和レトロではなく、ここは本物の昭和そのものだった。
「あんちゃん達、はじめて?」
常連さんに声を掛けられつつ、間違いなく最年少な我々は、はじめての人でも座っていい、であろう席へ着く。
「ホッピーでいい?」
厨房には、マスミちゃん、と皆から慕われている女将さんがいて、声を掛けてくれた。
この女将さん、というか、まるで看板娘のようなキュートさを醸し出す女性が、このお店のキーマンであり、このお店そのもののような存在だった。
入店してすぐに、この方が名物女将で皆から愛されている、という雰囲気が伝わってきた。
「ジャッ!」
マスミちゃんが、独特な手付きでジョッキに焼酎を入れてくれる。
ぷるぷる震えながら、一瞬動きを止め、素早くジョッキへ焼酎を叩き込むようなスタイル。それでいて、一滴もこぼしてなかった。思わず見惚れる。
ここのホッピーは氷なしで、キンキンに冷やしたジョッキ、焼酎、ホッピーといった、いわゆる三冷、だった。
甲類焼酎はキンミヤで、これをホッピージョッキに入れて、ホッピーをボトル一本流し込めばちょうどいい量になるというスタイル。
先述した、ナカおかわり、というのは一般的ではあるが、サントリービバレッジが推奨するホッピーの飲み方ではないらしい。
続いて、これまた名物である「煮込み」(400円)も注文。年季の入った大きな鍋からよそって出してくれた煮込みは、脂がプクプクしていて、まさにここでしか味わえない味だった。
その後、ホッピーを4、5杯飲んで、やっこさん(冷奴 100円)や、かけじょうゆ(マグロぶつ 400円)などをいただいて19時頃には店を出た。
それから数回訪れて、しばらくすると、なんと休業になっていた。
名物女将マスミちゃんの体調が良くないらしく、早く復活することを祈っていたが、今年お亡くなりになったとのこと。82歳だったらしい。
あの時に飲んだホッピーのおかげで、飲兵衛という大人の階段をひとつ上がれたような気がした。
ちょっと背伸びをして、ホッピーを飲んだ。
そして、お店からは、昭和より続く東京の歴史すら感じることができて、あの時に飲んだホッピーの味は、なんというか、今まで飲んだことないくらいに色っぽく、色気を感じるホッピーだった。
今も別の方がたまに開けていると噂を聞いたので、また色っぽいホッピーを飲みに行きますね、マスミちゃん。
1968年3月リリース作品