カタヤマヒロキの「食べロック」
第13回:「ファミレス」
小学校6年生の時に父が他界した。
それからというもの、母は働いていたので自炊はあまり、というかほとんどなく、外食ばかりの毎日だった。
「自分でご飯を作りなさい」だとか「買ってきて食べなさい」ではなく、いつも外食をしていたのは母なりの愛情だったのだと思う。
今では感謝しかないのだが、当時は思春期真っ只中の年齢だったため、「なんでうちはいつも外食ばっかり……」と思っていた。
中学校になり、学校終わりに母と2人でいつものようにファミレスで晩ご飯を食べていた。
すると、同じ学校のグループ数人と偶然居合わせてしまった。
「うっわあ……なんであいつらいるんだよ」
とても恥ずかしかった。
自分は母親と2人でご飯を食べている。
同級生は友達同士。
思春期真っ只中の童貞は、友達グループと自分と母が同じファミレスにいることが異様に恥ずかしいと感じてしまい、いてもたってもいられなかった。
そのことがあってからはファミレスに行くときはわざと町のはずれにある、いつも人がいないファミレスに連れて行ってもらっていた。
友達と居合わせたくないがために、わがままを言って、わざわざ町はずれのファミレスまで。
今でもその店は、ハッキリと覚えている。
だだっ広い店内はいつ行ってもガラガラ。
パキッとした白い蛍光灯が少しぼんやりとした照明。
BGMはスーパーで流れているようなJ-POPのインストアレンジバージョン。
店員はパートのおばちゃんか外国人。
入り口にはチープなおもちゃが雑多に置いてあり、夏に行くとガンガンにクーラーが効いていた。
学校が終わると、母の運転する車で2人、いつもそのファミレスへ行っていた。
友達の家へ遊びに行ったとき。
外が暗くなってくると同時に、薄暗い家の中にだんだんと良い匂いが漂ってくる。
僕はこの光景がいつも羨ましいと思っていた。
「もう遅いから一緒にごはん食べていけば?」
友達の家の晩ごはんは、ファミレスより味が薄くてちょっと物足りなくも感じたが、なんで自分は毎日外食で、みんなの家庭と違うのだろうと疑問に感じていた。
些細なことで、母と口論になったとき。
「なんでいっつもご飯作らんの? なんでいっつもファミレスなん? 恥ずかしいし、ファミレス飽きたわ! 料理が下手なん? 〇〇の家のご飯、うまかったわ!」
母は困ったような顔をして、黙っていた。
次の日。
豚肉を細く切って、甘辛く焼いたような謎の料理を作っていた。
もちろん味付けは、濃かった。
だが、僕ら親子のファミレスに慣れた舌にはピッタリだった。
数年後、母の癌が発覚して闘病生活へと突入した。
母は入退院を繰り返し、僕は東京に住んでいたがライブやツアーのない日はほぼ母の近くにいた。
余命も宣告され、治療方法もなくなったある日、母は呟いた。
「病院食や身体に良い食べ物だけじゃ物足りないねえ……」
僕はあの時に母とよく行っていたファミレスを思い出し、あの時とは逆に母を助手席に乗せて、車を走らせた。
母がよく運転して連れて行ってくれた町はずれのファミレスは自分が運転すると、思っていたより距離があった。
母はほとんど料理を食べることはできなかったが、嬉しそうな顔をしていた。
その数日後、母は息を引き取った。
そっちの世界にもファミレスはあるのだろうか。
もしあったら、また会えたときはあの頃のように運転して連れてってほしい。
そのうち父もやってきて、乾杯でもできたら。
口に入れた瞬間BGM
遠藤ミチロウ「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」(『ベトナム伝説』収録)
1984年4月作品
LIVE INFO
- 2019年6月7日(金)Shibuya Chelsea Hotel
Lüstzöe presents
「Sympathy for the Devil No.2」 - 出演:Lüstzöe/IMOCD!/MASS OF THE FERMENTING DREGS
DJ:KAZUKI(FAR★STAR)
Open 18:30/Start 19:00
前売り:4,000円(+1D)
当日券:4,500円(+1D) - チケット予約
https://mayhem.buyshop.jp/
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