平田ぱんだのロックンロールの話
第44回:ザ・リバティーンズ『Up the Bracket』
あー! 今日こそ短いです! 平田ぱんだのロックンロールの話! 今回紹介するロックンロールファーストアルバムは、こいつだ!!!
ザ・リバティーンズの『Up the Bracket』。邦題『リバティーンズ宣言』だ!!!
1曲目! 「ヴァーティゴ」!
記念すべき極私的この耳に初めて入ったリバティーンズ・ソング! あれは忘れもしない2002年の10月あたり、故郷・山形県のお隣、宮城県の最大都市・仙台市のアーケード街に佇む大型CDショップHMVの試聴機で聴いたんだ。それが全てのはじまりだった。「21世紀のセックス・ピストルズ現る!」みたいな宣伝文句に惹かれて聴いてみたんだったかな。
セックス・ピストルズは当時の僕が好きになった数少ない洋楽ロックのひとつだったからね。でもそれ以外の洋楽ロックはほとんどがあんまし好きじゃなかった。けっこう当時は頑張って色々聴いてたんだけどね、僕なりに。だってロック音楽は洋楽こそが本物だって、誰もが言うじゃない? ミュージシャンの人なんか特に。今でこそ邦楽しか聴いてないバンドマンなんか、ウヨウヨいるけど、昔の人であればあるほど、みんな影響元や好きなバンドの音楽を語る時は決まって洋楽のものをあげていたよね。だから僕も頑張って聴いてみてはいたんだ。大好きなマーシーやヒロトが好きだって言ってるやつからネットや雑誌やショップなどでオススメされてるやつまで、なるべく目につくものは見境なしで頑張って聴いてた。でもなんか、あんまし、わかんなかった、どれもぶっちゃけ。
だからもうなんつーか、「洋楽は外国人が聴くようにできてるものだから、日本人が聴いても楽しめないんだ。みんなカッコつけてわかったふりをしているだけだ。ハイロウズとかみたいな現代日本の僕に突き刺さるようなバンドは外国にはいないのだ。あれは日本特有のものなのだ」と、無理やり決めつけるに至ったほどだった。ある日、聴くのをあきらめたんだ。
だがな、その僕の耳世界に革命が起こったのが、このリバティーンズを仙台のHMVの試聴機で聴いた瞬間だったのだ! リバティーンズのサウンドを耳に入れたその瞬間、「あー!!!」ってなった。「わかったー!!!」ってなった。とにかく急にだよ、急に。「空気の音がする!」ってまず思ったかな。言い換えると「そこにいる!」って感じ。「誰かがそこにいて、やっている!」って感じ。何かが変わった音が僕の中でしたね。
なんせ、こういう所謂「ガレージ」と呼ばれるようなサウンドのロック音楽自体を聴いたことがなかったからね、僕はそれまで。流行りのストロークスは勿論チェック済みだったけど、ストロークスってガレージっぽさがあるだけで、別にがっつりガレージってわけではないじゃない? 人間が「オラー!」ってやってるのをただ録音した感は、むしろ出さないようにクールにクールに真逆にやってる感すらあるし。サウンド面も超こだわってるし。馬鹿なガキの耳にまで届くほどの「人間の生身」はないよな、ストロークスには。
でもリバティーンズは、もうそのまんまじゃん! 「これ絶対に人間がやってるわ!」って感じじゃん。そもそも当時「上手じゃない演奏の録音物」ってのを初めて聴いたんだ、僕は。現代ポップスはコンピュータで音程やリズムを綺麗に整えられてるのが普通じゃん? だからこんなサウンドが2002年みたいな未来時代に大々的に売り出されてたのは本当にラッキーだったとしか言いようがないんだ。加えてこの時代に青春時代が重なったのもラッキーロックだったとしか言いようがない。ストロークス、ホワイト・ストライプスのイギリスでの大ブレイクに端を発したムーヴメント「ガレージ・ロックンロール・リバイバル」のおかげだ! やった! ララララララッキー! あと、このアルバムのプロデューサーの元クラッシュのミック・ジョーンズのおかげでもある。リバティーンズの演奏をそのまんま録音することを選択してくれてありがとう!って感じ。
つーことでこの日以来、僕の心の中の国で急にイギリスが近くなった! とっても遠くの国イギリス! パスポート代とか飛行機代とか宿代とか、とにかくお金を沢山払わないと行くことができない国イギリス! 日本と同じく島国らしいイギリス! 今じゃとっても憧れの国イギリス! リバティーンズの「むき出しそこでやってる演奏サウンド」を聴いた瞬間、そこにいてやってる人間を意識してしまった瞬間に、イギリスが僕と関係ない国じゃなくなってしまった!
それまでイギリス人になんて興味がなかった。イギリス人だけじゃない、外国人全員、興味がなかった。だって関係ないと思ってたから。文化・言語が全然違う人となんて一生分かり合える日は来ないと思ってた。最初からわかろうともしてなかった。だから洋楽聴いてもほとんどピンとこなかったんだろうな。まあ致し方ねえやいな。だって興味なかったんだから。
でもリバティーンズを好きになってからそれまで聴いててわかんなかったあれやこれやの全ロックバンド好きになった! 全ロックバンドは言い過ぎか。少なくともロックンロールに属する外国音楽は全部いきなり好きになっちゃった。わかるようになったっていうのかな。「どうして今までわかんなかったんだろう?」ってなった。中でもビートルズがわかるようになったのはでかかったなあ。最高! そりゃ世界も制するわ!ってなもんでよ。それまで古くさい音楽にしか聴こえなかったんだけどな。ビートルズの音楽が楽しめるようになれたことは、それはもう滅茶苦茶最高なことだったよ、この人生において、今でも。サンキュー! リバティーンズ! あんたらのおかげ!
2曲目! 「デス・オン・ザ・ステア」!
一番好きな曲かもしんまい。僕がリバティーンズを好きな理由の全てがここにあるといっても過言じゃあない。なぜならばピートとカール。なぜならばピートとカールだからだ!!! ピートとカールの好きなところがどっちもこんなにはっきりとあるリバティーンズ・ナンバーは意外と少ない。だがリバティーンズは絶対にピート・ドハーティーとカール・バラーなんだ! ふたりのボーカルギター兼ソングライター! リバティーンズとはこのふたりの男の青春友情音楽伝説にその魅力の92パーセントが傾いているくらいのクラスの浪漫物語だからな。
このふたりの重要な男の関係性の有無こそが他のリバティーンズ模倣のクソバンド達との魅力の最大の差異ですらある。誰もがあのリアルタイムに胸を焦がしたその超原因! それこそがこのピートとカール、このふたりの男なのさ! ひとつのバンドにふたりの重要な男が同時に在籍してしまっているという、ほぼ奇跡! このふたりの物語の横揺れ縦揺れに僕らが当時どれだけ左右上下揺らされたものかといったら! 全くその様は完全にニュースでしかなかったぜ! しかもロックンロール残酷物語だ! だからあんな様相に至ってしまったんだ。結局リバティーンズはデビューから2年も持たずに、たった2枚のアルバムを残して解散してしまった。そのわけは他でもない、「カールがピートの隣にいることができなかったから」だ。「並び立つことができなかったから」だ。それはセカンド・アルバムの1曲目の「キャント・スタンド・ミー・ナウ」で歌われている通りに、だ。
おお、なんというロックンロール残酷物語! セカンド・アルバムの1曲目のサビで歌われてるあれこそが核心をついている! 結局カールはピートと同等じゃなかったんだ! それだけの話なんだ。
ピートのドラッグ問題なんか、初めから大した話じゃなかったはずさ。結局は最初からカールが並んでいるようで誰がどうみても「二番手だった」って話でしかないと思うよ、残念ながら。「ピートとカール」は「ジョンとポール」にはなれなかったってだけの話でしかなかったんだ、リバティーンズの崩壊の原因の全ては。あともう少しで、あとほんのちょっとで、伝説のふたりになれたかもしれないふたりなんだけどな。惜しいな、残念だな、でも仕方がないな。
この曲の最大の聴きどころだって、前半をカールが歌って、そっからの「ピートが歌い継ぐところ」だろ? あの瞬間が全てを表しているよ。あのロックンロールの歴史のどこにもない瞬間。ビートルズにも「アイヴ・ガッタ・フィーリング」などを筆頭に似たような瞬間がいくつかあるけど、あれは自分の作ったメロディ・パートを、それぞれ自分で歌うことによって生まれたものだ。だが、リバティーンズの場合はメロディではなく歌詞を書いた方でパートをわけあっているくさいから。だからこそ差が出た。ピートとカールの明確な差。決してガッコーのオベンキョーじゃ教わらない差。それくらいこの曲のカールからピートに歌い繋がれる瞬間はなんだかよくわからないくらい痺れる。ほんと残酷なくらい痺れる。何度聴いても変わらない、痺れる。もっとふたりが同等であればな、もうちょっとで伝説だったのに、いや、もうとっくに伝説のふたりなんだけどさ、「ジョンとポール」ほどではないでしょ? 流石に。神のいたずらに近いもんなあれはもう「ジョンとポール」なんてもんはもう。
ピートがピンボーカルで、カールがギターってスタイルだったら、もっと長続きしたかな? いや違うな。リバティーンズはあれが全てなんだ。完璧なんだ。あれしかなかったんだ。いわば刹那の感動なんだ。諦めよう。あれが二度と戻ってこないことを脳に知識として加えよう。これ以上は夢の領域だから、忘れずに、忘れずにいることだけが僕らにできることその1、みたいな感じです。
まあピート・ドハーティって話なんだよ、何が言いたいかっつーとよ。相棒カール・バラーがいくら頑張っても届かないピート・ドハーティという人間の結果なんだよ、所詮は、リバティーンズはよ。ピート・ドハーティにどれだけ周りの幸福が寄ってったかって話なんだよ、リバティーンズってのはよ。カール・バラーはこれ以上ない地球最大規模の幸福例だったんだ。ピート・ドハーティにとって本当にかけがえない幸福、それがカール・バラーだったんだ。本当にかけがえのないふたりなのさ。だけど、どっかでバランスが狂ったんだ。間違われてしまったんだ。神にも予測できなかった事態が起きたのさ。どっかでバグったんだ。誰もが思ったはずだ、あともう少し、あともうちょっとだったのに!ってな。あれからもう15年も経つから、もうそこまでの感傷ではないけどな。当時、世界からのリバティーンズに対する喜びと期待はそれはもうデカかったのだ。
僕は外国ロックへのリアルタイムの扉になってくれたこのファースト・アルバムに対して、密かに並々ならぬ想いを抱えていたために、初めてみたリバティーンズのライブには恐ろしいくらいガッカリをした。だって、それ、04年のフジロックで、だぜ? ピート抜きのリバティーンズ。もうあれは完全な、完全な消化試合だったね。友人と共に同時ですごい勢いで肩落とした。悲しかったなー、あれ。その前の来日が03年のフジロックで、その時、ドラッグ問題がひどすぎるからってピートがバンドから謹慎くらってて、別にサポートギターを加えての編成での出演で(その時、カールがあの赤いナポレオン・ジャケットを観客に向けて投げたらしいから、あれは日本の誰かが所持しているらしい。てかモッズ界隈の何々さんがそれ持ってるって言ってたな、たしか、誰かが7、8年前に。あとピートがカールの家に泥棒で入って逮捕されるというロック・バンド史上、聞いたことない事件も、このフジロック03で留守にしているところを狙ったみたいな感じだったらしいです)。
で、次の年の僕が見た04年はそのリベンジみたいな感じでフジロックで来日したんだけど、結局ピートのドラッグ問題が解決してなくて。またしてもピート・ドハーティ抜き。そんな消化試合なライブを見て僕は「なんだリバティーンズ、クソじゃん、ファースト・アルバムのあれはたまたまだったんだな」ってなって、そっから一切の興味を失った。だって当時、僕はリバティーンズの主役はカールだと思ってたからね。YouTubeとかまだなかったし、気軽に動いてる映像なんか見られなかったからね、当時は。今、当たり前のように動いてる映像がタダで見られるけど、当時はすげー貴重だったんだ。だからほとんど雑誌とかの文かもしくは写真などで想像、判断するしかなかった。ライブ映像なんか見れんかった。
単純にカールの方が顔だけでみるとイケメンじゃん? なんか当時のリバティーンズって写真だとカールの方が目立つように配置されてるよね、絶対。このアルバムもカールがリードボーカルとってる曲が良いところに配置されてる気がするし。とにかくリバティーンズはカールがメインのバンドだと思ってたの、当時の僕は。だからピートなしのリバティーンズのやる気ないライブを見て「これに相方のピートが加わったところで大して変わんないっしょ」って判断を下してしまったのよ。そっから2年後の06年に、その考えは全て間違っていたことを思い知ることになる。YouTubeの登場によってね。
僕の所属バンドのギターの人が「すまん、今まで俺が間違ってた、リバティーンズすげえカッコいい、ピート・ドハーティは下手するとロックの歴史上一番カッコいい」って言ってきて、何事かと思ったよ。だって流行ってる当時に「リバティーンズ最高だよ」って聴かせても「なんだこのクソ下手くそなバンドは、俺の方がギターうまいぞ」ってしか言わなかったうちのバンドのギターの人がさ、そんなこと言い出すもんだから、面食らったよ。そして「とにかくこのYouTubeにあがってる動画を見てくれ」と。リバティーンズの動いてる映像は04年のイギリスのテレビ出演映像がたったふたつだけだった、が、それが死ぬほどカッコよかった。そりゃうちのギターの人が心の手の平クルクルするわけだわ!って思った。とにかくもう初めて見る動いてる当時のピート・ドハーティの、そのカッコよさときたら!
まず着ている服が鬼カッコいい。ファッション・センスがハイ過ぎる。あれは真似しようとして真似できるものではない、「THE着こなし」ってやつだ。リバティーンズっつーかピートもカールも服の着方がカッコいいよな。ファッション雑誌を見て、一生懸命に流行を追って、高い金を払って服を揃えて着てるって感じとは真逆の魅力だよな、あの服の着こなしセンスは。でもそんなファッション・センス抜群のふたりだけどピートとカールの最大の差はその身長にあったね。ピートはでかい。190センチとかあんだよね、たしか。もうモデルばりって話。カールは顔はイケメンだけど身長は高くないからな。もう圧倒的にピートの方が見た目がカッコいい。写真とかは基本カールの身長に合わせてんだよね。当時、全然身長でかいイメージなかったもん、ピートに。しかも丸顔だからさ。全然カールの方がカッコよく見えてた、写真だと。セカンド・アルバムの裏ジャケの写真で「ああ、ピートって意外にスタイルいいんだな」ってちょっと思ったくらいだった。いやー、身長って大事だわ。顔小さいって大事だわってなんか生まれて初めて強く思った、そのYouTube映像を見た時。
ほいでさ、極めつけはその佇まいよ、ピートの。当時、最もドラッグ問題でリバティーンズが揺れてる頃だよね。その初めて見たテレビ映像でやってたのセカンド・アルバムの1曲目の「キャント・スタンド・ミー・ナウ」だったもん。でもなんかそのジャンキー具合すらカッコいいのよ。ロックが本来もつ反社会的・反体制的な魅力って否定できないじゃん? それが極まってるのよ、当時のピートの佇まいって。しかも日本で言う所のヤンキーとかヤカラみたいな感じじゃなくてさ、アーティスティックなムードっつーか、頭良さそうっつーか、とにかくカッコいいのよ。とにかくカッコいいのよ!
もうさ、僕はリバティーンズのことなんか何ひとつわかってなかったんだなって思ったよ。映像を見たその日から、リアルタイムの時の8000倍くらいリバティーンズが好きになった。もうはっきりいってビートルズと並ぶ存在になった。ブート音源とかまで聴き漁ったのはリバティーンズとビートルズだけだよ、全く。リバティーンズは未発表曲にもいい曲がありまくるからオススメだね。でもビートルズの方がやっぱ好きかな。再結成してないからだね。ビートルズも96年に再結成に近いことはしてるし、その時にリリースしたジョン・レノンの未発表音源を元にして作った2枚のシングルはビートルズ史上でも上位入るくらいにマジよかった。特に「リアル・ラヴ」とか死ぬほど好きだもん。
でもリバティーンズは残念ながら再結成で結果を出せなかったんだよなあ。2010年に1回目の再結成があって、ドキュメンタリー映画も作ってたよね。あの時のDVDは僕の周りみんな買ってたよね。無論、僕もね。でももう僕らが待ち焦がれたリバティーンズは帰ってこないんだなって思っただけだったね、あれ見ても。だって全然危なくないんだもん。演奏も単純にノロいし、わりかしちゃんと演奏をやってるし。ピートとカールがまるで張り合って競い合うように加速して燃えあがっていく、あの感じはもうなくなっちまったな。あの刹那的な輝きに魅せられていたんだよな、僕らは。現在のカールが自分をピートより下に置いちゃってる感じあるのがいけないと思う。全然せめぎ合ってない。
2015年に出した再結成後初となるサード・アルバム『リバティーンズ再臨』もガッカリなんてもんじゃなかった。楽しみにして買いに行って、念の為、試聴してみて、結局買わなかったアルバムなんて、後にも先にもリバティーンズのサード・アルバムだけだよ。後からブックオフで250円で買ったから持ってるっちゃ持ってるけど、ほぼ聴くことはない。ワン・ダイレクションとかエド・シーランとかのポップス系のプロデューサーと作るって発表した時点で、雲行きが怪しいなとは思ってたけどさ。だってそんなん日本でいったらブランキー・ジェット・シティが小室哲哉プロデュースでアルバムを作るみたいなもんでしょ。
にしたって、あんなガッカリ作とは思わなかった。リバティーンズのいいとこ一個もなし。一番いいトラックが未発表曲の「ユア・マイ・ウォータールー」な時点でやばいもん。しかもそれすらブートで聞けるデモ版の方が明らかにいいという始末。ほんと再結成で成功した例ってないよね。絶対するべきじゃないよ、再結成だけは。リバティーンズみたいな、時代を味方につけた刹那的魅力で勝負してたバンドなんかは、特に。また新作を作るとか言ってるらしいから、一応期待はしておこう。
あとリバティーンズの欠点は当時の公式映像作品を残さなかったことにあるよね。特にライブ映像作品。当時のリバティーンズの、あの勢いのある演奏って絶対に再現不可だからね。上手くなればなるほど、歳を重ねれば重ねるほど、遠ざかる魅力だもんね、あんなもん。とにかく時代を味方につけた勢いと空気感だけがすごい。ブート映像でしか見られないのが残念だよ。ちゃんと商品として録音された音と映像で楽しみたかった。唯一公式リリースものでリバティーンズの当時のライブの空気が鑑賞できるのは解散後に出たセカンド・アルバムのファイナル・エディションについてるDVDのみだ。昔、出た時は同じCDをもう1枚買う余裕なんてなかったし、リバティーンズ熱も相当冷めてたから無視してたけど、あのDVDは何気にかなり豪華よ。あれだけで買う価値がある。ファンで、あれを見てないなんて、モグリにも程が有る。最もホモホモしい間柄だった頃のピートとカールの微笑ましい様も存分に堪能できるぞ! あのメニュー画面のふたりが戯れ合う様のあのホモホモしさときたら! 完全に頬が赫らむ悶絶ものだ!
長々と書いているが、結局リバティーンズの魅力とは「ホモホモしいふたりの男!」でしかないのだ。ボーイズラブ! と言い切っても構わない。あのふたりって、ホモ・セックスしたことあんのかなあ? 実際に男娼のバイトとかしまくってたらしいから、ホモ・セックス自体の経験は沢山あるはずだけど。あのふたり、ピートとカールがホモ・セックスしたことあるのかどうか! それにすごく興味がある! もしやってたとしたら絶対ピートがチンチン入れられる方だよね! などといけない妄想が広がり出したところで、次の曲へ話題を移す!
ちなみこの「デス・オン・ザ・ステア」はシングル・バージョンをスウェードのバーナード・バトラーがプロデュースしてるから、アルバム・バージョンと聴き比べると、面白いぞ。シングル・バージョンはベスト・アルバムで聴ける。リバティーンズのベスト・アルバムは今んとこ1枚しか出てないけど、何気に半分以上はシングル・バージョンとかシングルのみでしか聴けない曲が収録されてるから、オリジナル・アルバム2枚とも持ってても十分買いだよ。
3曲目!「ホラーショウ」!
前半2曲は基本カールがメイン・ボーカルだが、3曲目にしてついに完全ピートがメインのボーカルが聴けるパンク・ロック・ナンバーの登場だ! さあ、ノリノリになろう! それにしても、この曲聴くたびに思うけど、ドラムがうまいな。つーか、滅茶苦茶うまいな。マジ、テクニシャンだな。
そう、リバティーンズはメインのふたりの演奏がヘタクソだから、演奏が下手なバンドだと思われているけど、ドラムのゲイリー・パウエルのみガチの凄腕なんだよね。もうなんでやねんってくらい、うまい。しかも黒人。なんかドラマーが黒人って「卑怯だぞ!」って思っちゃうよね、日本人的に。駅伝マラソンとかで留学生の助っ人黒人が走ってる時に思う感じみたいな? いや、絶対運動神経悪い黒人もリズム感ない黒人もいるはずなんだけど、その道を極めた黒人には絶対日本人じゃかなわないもんね。
そんな感じでゲイリーのドラムだよね、究極的にリバティーンズって。ああ、結局はドラムなんだよ、ロックンロール・バンドなんてもんは。日本の芸能界を制したジャニー喜多川氏も昔「エンターテインメントの世界で最も重要なのはリズム感だ! リズムさえ合っていれば、あとのことはどうにでもなる!」と言っていたと、どっかで読んだ気がするが、けっこうほんとにそうだと思う。
ゲイリーのあのパワフル・テクニカル・ドラムがあるからこそ、ピートとカールのあのヘロヘロで好き勝手な隙間だらけの暴走衝動勢い歌唱ギターも謎の輝きを見せるんだよな。アレは絶対に真似できない。だってもうそもそもちゃんと弾く気ないでしょ、最初からふたりとも。本人達でももう再現不可能。リバティーンズの魅力はそんなパンクなところにあるんだ。
パンクっつっても2種類ある。ジョニー・サンダースとかのヘロヘロ・ジャンキー横揺れパンクとハードコアとかのカッチカチ縦ノリパンクだ。これがうまい具合にメインのふたりが別々のタイプなんだよね。言うまでもなくピートが横揺れヘロヘロパンク。カールはカチカチ縦ノリパンク。縦の糸はーあーなたー、横の糸はーわーたしー、みたいな? そんな感じなのか? リバティーンズのノリは。ゲイリーのドラムの上でふたりが好き勝手やる! 行ったり来たり戻ったり! そこに誰にも真似できないリバティーンズの謎のグルーヴが生まれる!
え? ベースのジョン・ハッサールはどうだって? しらね。ごめんリバティーンズのベースを意識して聴いたことないわ。もうなんならリバティーンズにベーシストなんていたっけ? くらいの感じ。そんな感じだからリバティーンズの良さがわかんないっていう人、けっこういるよね。「これの何がそんなに好きなの? 全然わかんないんだけど」って。現実で通算3人に訊かれたことあるもん、僕。
でもほんとリバティーンズの魅力って説明しづらいんだね。何がいい!って理由特にないもんね。これはローリング・ストーンズと同じ。このノリが好きかどうかでしかない。説明できない。楽譜には決してのらない。学校のお勉強では絶対にわからない。
基本的にロックンロール以前の流行音楽を参考にしてるって点も一緒かな、ストーンズと。基本的にはロックンロールに影響を受けてんだけど、ストーンズだったらそれ以前のブルースをやろうとしてるみたいな感じで、リバティーンズも直接の影響元はロックとかパンクとかのバンドなんだけど、なんつーの? ジャズっつーの? 戦前の。ロックとかに流行音楽の座を取って代わられる前のあの昔の映画、例えばチャップリンとかキートンとかでよく流れてるやつ。やっぱジャズでいいのか? 調べてみたら、ボードビルって言えばいいみたい。ボードビルって別に音楽のジャンルを指す言葉ではないけど、それが一番近い表現なことは間違いない。ああいう音楽を基本参考にしてる感はある。この曲のサビのコード進行とかもモロそうだし。なんかそういうのをパンク・ロックでやろうとしてる感はある、リバティーンズには。ヘタクソだからパンク・ロックになっちゃってる場合もあるのかもしれないが。ボードビル以外でもなんかとにかく色々古めかしいものから沢山影響受けてる感がある。音楽以外も詩とか映画とかテレビとか。
だからリバティーンズにはロックのエイトビート・ナンバーはほとんどない。大半が所謂キャバレーみたいやつとかのシャッフル・ビート。ロックンロール誕生以前のビート。だからストロークスとかとは全然違う。ストロークスがレトロテイストを取り入れた最新の高いブランド物の服を着てるとしたら、リバティーンズはガチのレトロ古着をすげーうまく組み合わせて着てるって感じ。そう、リバティーンズは古着なんだ。しかもすっげえ古いやつ。30年代とか40年代とかのガチの古着。絶対アメカジとかではない。一応言っとくけどこれ音楽を服に例えてるだけね? 実際きている服ではないぞ? 全然新しくないんだけど、それがなんとも言えない風情を生んでいる。逆の逆の逆で新しい、超温故知新! それがリバティーンズだ! わかったか!
ああ、わかってるぜ、長くなってしまっていることは。なんせリバティーンズの話だ。冒頭での宣言通り短くってわけにはいかなそうだな。だが諦めるわけにはいかない。こっからは絶対に短い! すごい勢いで行くぜ! 読んでくれ!
4曲目!「タイム・フォー・ザ・ヒーローズ」!
いえーい! イギリスって感じだぜーい! モッズ・パンクって感じだぜーい! でもリバティーンズだからルーズなんだぜーい! ザ・ジャムとかみたいな感じには全然なってないぜーい! そこがいい! このバンド3枚目のシングル! 最も他のバンドからのカバー率が高いような気がするバンドの代表曲のひとつだが、盛り上がるサビみたいなのも一切ないし、日本人的には、なんでそこまで人気曲なんだかわかんねえところもある。まあ、あれなんだろうな、やっぱ歌詞的なところなんだろうな。多分だけど、リバティーンズって歌詞のバンドなんだよね。しかも和訳をいくら読んでも100パーセントで理解できない類のやつ。その時代のイギリスに住んでないとわかんない的な、ある種ヒップホップ的な、固有名詞やスラング使いまくりな口語体ストリート・ソングなんだ。
勿論、僕はイギリス人じゃないから知識としてしかわからない。英語がわかってもわからないんだろうな、文化の違いで。事実リバティーンズは他の英語圏でほとんどウケなかったみたいだし。和訳の歌詞カードにも沢山「注マーク」ついてるもんな。ボブ・ディランとかそういう感じに近いんだろうな、きっと。なんかそういう雰囲気ってことだけはわかるけど、和訳じゃ追いきれねえ、みたいな悲しさがあるね。そもそも「この歌のモチーフは何々事件」みたいなやつらしいけど、日本語で説明されても全然わかんねえもん。知らないから。
この歌詞の中に「アメリカの野球帽をかぶったイギリス人は悲惨で見てらんない」みたいな感じの歌詞があるくらい、リバティーンズの歌詞って基本イギリス国内向けくさいんだよな。狭義的で構わないってスタイルとまでは言わないまでも、かなりそう。
だからリバティーンズは日本人には絶対100パーセント理解はできないんだ。何故ならば文化が違うから。だってピートみたいなヘロイン中毒のスターなんかそもそもいないもんね、日本には。大麻所持で大騒ぎなこの国じゃ絶対成り立たないよ、そんなスター。リバティーンズが若くて貧乏な頃に沢山やっていたという空家に勝手に住み着く不良行為にもちゃんと「スクワット」とかいうカッコいい感じのスラングの文化名がつけられてるくらいだし。
とにかくそんなロンドンの路上の不良文化真っ只中なんだよな、リバティーンズというものは。だから日本からじゃ絶対生まれないんだ、残念ながらこれは。生まれないというか受け入れてもらえない。日本はかなりちゃんとした、とっても真面目な国らしいからな。エロに特化した変態産業だけは他の国を圧倒してるとは言われてるけんどもよ。それも真面目さ故の抑圧からの裏返しなのかもしれないけどもな。
パンクなんだよなあ、よーするにリバティーンズは。ロゴももろこてこてのパンク・ロックって感じだし。パンク・ロックが一番カッコいいよっていうか無敵だよ。パンク・ロックは無敵。だってダメになったら、死ぬだけだもの。だけどそれまでは路上に、道の真ん中に立ち続けんだ、でんと構えんだ。そんな文化のはずさ、雑破に語れば。パンク・ロックかっけー。
とにかくリバティーンズはパンク・ロックだったんだ。紛れもないパンク・ロック。それは現代の型にハマったバンドと客の生真面目なあんなのじゃない、真のパンク・ロックだ。だから一瞬だったけど、一瞬で十分だったんだ。わかってたまるか!
The Libertines - Time for Heroes5曲目!「ボーイズ・イン・ザ・バンド」!
まるでリバティーンズみてえな楽曲だ! この曲はリバティーンズだ! まるでそのものだ! この曲のメイン・ボーカルはカールなんだけど、作ったのはピートらしいな。ピートがラリりまくってる頃のインタビューで、バンドへの悪口言いまくってる時に言ってた発言からだからテキトーすぎて本当がどうかわかんないんだけど、「何々も何々も何々も俺が作った曲なのに、アイツらは俺をバンドから追い出した!」みたい中にこの曲の名前も出てたから「へー、そうなんだあの曲はカールが歌ってるのに」って思ったおもひでをただ書いてるだけです。
ビートルズと違ってどの曲をどっちが作ったのかがわかりづらいんだもんなあ、リバティーンズは。
ビートルズは初期のガチで共作のやつ以外は、基本作った方がメイン・ボーカルだからわかりやすいんだ。リバティーンズも基本、全部共作名義にしてるけど、なんか基本的に歌詞の部分の話くさいんだよな。それくらい歌詞に重きをおいてるって話でもあるんだろうが。いやわからん、僕はそんなリバティーンズに詳しくないんだ。英文が理解できたらもっと詳しいんだろうが、残念ながら翻訳された一部の発言までしか理解が届かない。解明される日は来なさそうだな。情報が僕のところまで届くほど売れてないからな、リバティーンズは。20年後に期待。もしくは英語を習得する、20年かけて。
6曲目!「レディオ・アメリカ」!
こういうアコースティックな曲調こそリバティーンズの真骨頂だ。このファースト・アルバムはこれ以外、大体かなりパンクよりのサウンドだから一番好きだけど、パンクじゃないリバティーンズのこういう曲にこそ名曲が沢山あったりするんだ。ほとんどデモ版だけにしか残されていないけど、頑張ってかき集めて聴いてみてくれ。その場合は和訳がつかないことだけが残念だ。来世はイギリス人になろう。そして言葉と文化を学ぶんだ。日本人として生まれてきたからリバティーンズへの真の理解は来世に持ち越す。今のままでも充分楽しいけどね。その国ならではの楽しみってのはどこにだって転がってるぜ。きっと拾うか拾わないかでしかないんだ。日本に住んでるからこそ謎が多すぎてこんなにウキウキするんだってこともあるにちげえねえからな。
だってまず日本じゃピート・ドハーティが見れねえからな。もし生のピート・ドハーティのステージをここ日本で見れたらそのあまりのプレミアっぷりに僕は脳内狂喜乱舞で埋める自信があるのにな。ピートは過去のドラッグ問題がひどすぎて、ドラッグにとても厳しい我が国日本での公演と入国許可が絶対に降りないと言われ続けているからな。昔のストーンズと同じだ。ストーンズも結局90年代になるまで来れなかった。つまり35年くらいかかった。ストーンズの場合はキースのせいだ。見たいなあ、一回、生のピート・ドハーティ。でも外国まで行って見てしまったら、普通だから、この日本で見ることに意味があるんだ。人生の青春の意味の為にも、絶対で初めてはここ日本で見たいんだ。あの日の後悔を取り返す為にもね。
このファースト・アルバムをひっさげたジャパン・ツアーに行かなかったのを、いまだにすげえ後悔してるんだ。2003年の4月だよね、たしか。札幌から福岡までかなりガッツリ回ったよね、日本の大都市を、あの時。なんと地元山形のお隣、宮城の最大都市仙台のなんとジャンク・ボックスでまでもやったんだ。マジで何としても行けばよかった。でも僕は今の3000倍の規模で恐ろしく能動的ではなかったからね。「行きたいな」って刹那的に思ったは思ったけど、結局、様々な事情で行かないことにしたんだ。あの時、行かなかったことがここまでの人生の後悔になるとは思いもしなかったぜ、全く。
生々しいピート・ドハーティ。その体感を知りたいよ。百聞は一見にしかずって名言のわけは映像にだって適応されるんだぜ? 映像なんざ、何回見たって所詮見たうちに入らないんだ。映像なんて知識だよ。体感には遠く及ばないね。そこからは絶対に空気の匂いはしないんだ。アーメン!
んで、ここでアナログ・レコードだとA面終わり。
B面1曲目!もとい7曲目!「アップ・ザ・ブラケット」!
このアルバムのタイトル・ナンバー。僕はギリ10代の時分にこのアルバムを店で試聴した時、全てのタガがはずれたって話は1曲目でしたばっかだが、その1曲目を聴き終わってから、「もう1曲聴いてみよう」と思って選んだのが、この7曲目のこのアルバムのタイトル・ナンバーだった。試聴の際に1曲目を聴いてから次にアルバムのタイトル・ナンバーを聴くというのは正しい試聴ルートですよね! 1曲目とタイトル・ナンバーは絶対にバンド側が推してるナンバーってことでまちがいないですからね。もうこの曲の最初のピートの汚いあの咆哮を聴いた瞬間、僕は買うことを決意したね。あんな汚い声が入ってるCDを初めて聴いたからね。今まで聴いてきた音楽と違うぞ! 初めて聴くぞ!って思ったよ。
でもその時、ギリ高校生で、金があんまりなかったから、輸入盤を買ってしまったことは後悔。それじゃライナーノーツも和訳歌詞カードもボーナス・トラックのファースト・シングル収録の2曲も聴けねえじゃんかね。そりゃリバティーンズへの理解も遅れるわ。後に日本版のCDも買うことになり、アナログ・レコードでも買って、計3枚持ってるはず、このファーストアルバムは。余計金がかかったじゃねえか! たかが500円程度の差なんだから、日本盤を買えよ、馬鹿野郎!
まあ当時はCD1枚買うなんて大事件ですからね。特に高校生くらいにとっては。よっぽどのことだったよ? 普通に高いじゃん、CDって。現代のCDが売れない時代なんて、そりゃそうだろって感じだよ。ずっとおかしいと思ってたもん。あんなもんがあんな値段で当たり前のようにやりとりされてることに。だって肝心の子供が買えねえじゃん、あんな値段じゃ。ミュージシャンやスタッフ側の経済事情に気遣うなんて大人になってからやりゃいいよ。いいよいいよ、タダみたいな値段で聴いときな、今んとこはって感じ。あくまでも今んとこは、な。大人になってからは金払えよ? それも必要以上に。CDを何枚も何枚も普通に買え。作んのもタダじゃねえんだ、あれは。たけえんだ、CDは。それがより良い未来世界を生む。精神の為の投資をしよう!
とか全然この曲の本質と関わらない話をしているような気がする、だが、忘れちゃいけない、リバティーンズの最大の魅力は「リアル」だということをな。この歌はピートお得意の路上の物語歌系楽曲だ。後にアークティック・モンキーズとかに引き継がれることになるやつ。リバティーンズのこの時代においての最大の功績は間違いなくロックンロールに「リアル」を持ち込んだことだ。そんなんはヒップホップとかじゃ当たり前のことだが、ロックンロールにはファンタジーも不可欠だからな。だがその相反するふたつの要素を同時に獲得することができたのがリバティーンズだ。だからインターネット活用バンドの元祖でもあると言われている。インターネットはダイレクトだからな。情報が瞬時に広がる。リアルと似てる。
リバティーンズはインターネットを駆使して「今日、今からギグやりまーす! 暇な人みんな来てねー」みたいなやつをやった先駆ロックバンドらしい。しかもその場所が時に自分の家だったりしたほどのリアルっぷりらしい。よく演奏を聴きに来たファンに家の物を盗まれまくって大変だったとかなかったとか。ヒップホップにお株を奪われた「リアル」という概念を、一時とは言えどロックンロールに取り戻したリバティーンズはやはりパンクだったって話。
The Libertines - Up the Bracket8曲目!「テル・ザ・キング」!
リバティーンズ特有のやたら長いイントロを持つナンバー。始まりだけ合わせて、そっから各自ゆらーっとしてなんとなく呼吸を合わせて戻ってきて楽曲が始まる、みたいなこのリバティーンズ・イントロ・パターンは、僕の所属バンドでも真似しまくってる。つーか、このリバティーンズ・イントロ・パターンを真似してるイギリスの後進バンド、THE VIEWの真似をしていると言ったほうが正確なのかもしれないが。
バンドって感じがしていいですよね、こういうイントロ。でも別にこれはそんなにイントロ長くねえか。もっと長いやついくらでもあるっていうか、いくつかのナンバーはもうほぼ終わるまでイントロみたいな感じがするほどだからな。これはメイン・ボーカルがピートからカールに歌い継がれる2曲目とは逆パターンのやつだ。これのイントロをセルフ・パロディした、この曲へのアンサーソングのような楽曲がセカンド・アルバムの4曲目に入ってるよね。「お前、王様になれたのにな」みたいなタイトルのやつ。ほんと「王様になれたのになー」って感じだよね、ピート・ドハーティ。何かほんの少しだけでも違ったら、理想郷となったはずさ、リバティーンズは。
9曲目!「ザ・ボーイ・ルック・アット・ジョニー」!
酔いどれ系ゆらゆら横ノリパンクの決定版!って感じのナンバー。「ライディラーイ!」ってサビのとこがとっても楽しい。一緒にダラダラしながら歌いたくなる。そんな酔っ払い賛歌。この歌の「ジョニー」って「ジョニー・ボーレル」のことなんだってね。ジョニー・ボーレルってのはリバティーンズ登場以降、アホほど現れることになるイギリスのリバティーンズ模倣バンドの中で最も売れたらしいイギリスのロック・バンド「レイザーライト」のフロントマンのことね。つーか、リバティーンズのファースト・アルバムよりレイザーライトのファースト・アルバムの方が、当時遥かに売れたっていうんだから恐ろしいよね。いや、別にレイザーライト、普通に好きだけど、偽物の方がリバティーンズより売れちゃダメだろ。どこの国もセールスってのは間違いだらけなもんなんだな。でもジョニー・ボーレルはリバティーンズのベーシストだったことがある男だから、ギリギリセーフだな、リバティーンズの真似で売れても。
10曲目!「ベッギング」!
これはカール作のはず。どっかで「この曲がピートに初めて聴かせた自作の曲だけど、ピートからダメ出しくらいまくって、歌詞をびだびだ直された」みたいな話してたもん。ピートって楽器はそんなにうまくない風なくせに意外とバンドの音楽面を仕切るクチだったらしいからな。外から見るとカールが音楽面を仕切ってるのかな?って感じしてたけんどもな。
だってリバティーンズ解散後に、カールとゲイリーが組んだニュー・バンド「ダーティ・プリティ・シングス」なんてサウンド的にはピートの「ベイビーシャンブルズ」より全然リバティーンズっぽく感じたくらいだったしな。リバティーンズのメンバーが半分いるんだから、そりゃそうだろって話ではあるが。まあ、この曲はいかにもあの伊達男カールが作った曲って感じだな。基本キメキメだ。カールほど伊達男ってワードが似合う男もいないよ。そりゃピートもカールが大好きなわけだよ。本当にピートはカールのことが大好きだ。映像で見れば見るほどそれが伝わってくる。せめてカールが伊達男じゃなかったら、何か少しは変わったかな? いや、カールは伊達男でなくてはならなかった。リバティーンズの伝説の理由の最大に「ピートがカールのことをとっても大好きだった」って事実が最も重要なんだからな。カールは何も悪くないんだ。全ては必然。そう必然だっただけさ。
11曲目!「ザ・グッド・オールド・デイズ」!
リバティーンズは古着だ! 古き良きを愛した! でも昔がよかった、だけではすまさない! むしろ、そんなもん毛嫌いする! 昔の良かったものは全て認めつつも、それを含めた自分たちの生きる今この場所こそが頂点なんだ! イギリス万歳! ロンドン最高! と言って生きる。今、この瞬間のことを「古き良き」って言うんだぜー! いえーい! みたいな。
12曲目!「アイ・ゲット・アロング」!
で、たどり着いたぜラストソング! これは絶対カール作だよな。縦ノリ・ギンギン・パンク・ナンバー! ファースト・アルバムのこの上ない締めナンバー! いえーい! ロックンロール! みたいな。
終わっちまった。最高のロックンロール・バンドのファースト・アルバムの話が。
この後リバティーンズはこのアルバムより演奏が下手くそな録音をしたセカンド・アルバム『リバティーンズ革命(The Libertines)』を出してこの世から去る。そのアルバムの歌詞の内容のほとんどがピートからカール、カールからピートへ向けられたような歌詞で埋め尽くされていて、1曲目が「お前が悪い、とにかくお前が悪い、お前が俺の隣にいれなくなったのは、大体お前が悪い。お前は俺の隣にはいれない男なんだ。所詮お前は俺には追いつけないんだ、わかるか?」という内容をピートとカールで交互にボーカルをとって言い合う歌から始まって、ラストの14曲目で「あの日、俺たちが交わした“なんたら”って名付けた永遠の約束はどうなっちまうんだ? 答えろ、答えろぉぉぉぉ!」っていう歌で締めるという、クッサいクッサい内容のセカンド・アルバムを出して終わった。
日本の冷めたオタク気質の男からしたら、お互いこんなんどういう気持ちで歌ってたの?って感じでしかないんけど、それが如何しようもないほど似合う、似合いまくり、感動を誘う、そんな漫画みたいなふたりが現実にいたって話ですよ。ロマンチックにもほどがあるんですわ。こんな漫画なふたりはこの先出てこないんだろうな。人々がロックンロールの幻想を信じ、そしてインターネットの急速な普及で情報が加速した時代の、過渡期の、そんな最後の、最大の浪漫ロックンロール物語バンドだったのさ、リバティーンズは。
それにしてもこれを書くために、改めて聴いてみると、なんという隙のない、「好き」としか言い様のないファースト・アルバムなんだろうか。こんなもん断固支持だ。ガチのガチだ。リバティーンズが教えてくれた!ってほどではないけど、リバティーンズが気づかせてくれた!ってんだったら完全に合致さ。
リバティーンズがいなかったらビートルズをはじめとした素晴らしきロックンロール世界は日本産を愛でるだけで終わっていたはずさ。リバティーンズのおかげで地球規模で音楽を、ロックンロールを楽しめるようになったんだ! リバティーンズがいなかったら未だ言語の壁文化の壁、国境の壁、たかが海山川すらも超えられずに生涯を閉じたかもわからないんだよ、僕は。マジで「リバティーンズ登場!」がリアルタイムで、僕の現実と重なってよかったよ。大好きだ、大好きなのさ、リバティーンズ、大好きだ!
また新しいアルバムを作るって言ってるね、ずっと。こないだ更新されたニュースもさっき見たよ? 一切の期待せずに待つよ! 一切楽しみにしてないけど、発売されたら絶対に一回は聴いてみるね! そしてもしよかったら、30000円までは出すからね! それ以上は無理! 許して! あとアルバム出たら、今度こそ来日して! ピートありのリバティーンズがこの日本で見れるんだったら、僕、多分チケ代50000円まで出すわ。待ってる、ラブ!
そんな感じだ。さてとそろそろ終わろうぜ。今回も短く済ませられなかったな。まったくリアルタイム・ヒーロー・ロックンロール・バンドの話になると、人生と照らし合わさりすぎて、全然短くなりやしねえ。次回こそ短く済まします。多分、嘘です。きっと長いです。次回は僕が瞬間規模で最も愛したロックンロール・バンドのファースト・アルバムの話をするつもりだからです。
乞うご期待! では、また
The Libertines - I Get Along