但野正和の「闘いはワンルームで」
第18回:「僕たちはひふみんのことをなにひとつ知らなかったじゃないか」
気が付けば2019年が明けておりました。めでたいかはさておき、今年もよろしくお願いします。
時代や流行を吟味してモノにしてやろうとして良かった試しなんて、結局のところ一度だって無かったので、今年も揺るぎない俺そのものでいよう。俺であることさえが揺るがなければそれでいい。
前回、当コラムでは村山聖の闘いっぷりを記録。それは私の心の自己啓発映画として名高い『聖の青春』を久々に見返したのが発端だった。
ところで一人称がコロコロと変わるのは毎度のことだ。気にするな。
そうそう、それ以来。吾輩の興味はすっかりと将棋に向かってしまっている。とはいえ、将棋のルールを今から覚えたりしたら益々楽曲制作のスピードが落ちることは明らか。
将棋というよりは、棋士に夢中になっているのである。
そんなこんなで、棋士から棋士へ。拙者は次々と調べ渡り歩いていった。誰も彼も格好良い漢が多く、とても危険な橋であった。いくつかの橋を越えたところで、小生は運命のお方と出会った。
嗚呼、下暗しだった。灯台は非常に下暗しであった。
そう、あたしゃ既に知っていたのだ。その殿方の名前も顔もバラエティー番組でのトーク力も。
その方こそが、ひふみんの愛称で知られる加藤一二三先生である。
ワタクシは常々、生涯現役的なパワーを持った人物に強い憧れを持っている。
例えば、当コラムの第12回で書いた三浦知良。
自分に負けそうなとき、オイラはいつも「ライクアキングカズ」と唱えてきた。
(嗚呼、そろそろボクの一人称リストの在庫が切れそうだ…。否!負けるな。そう、ライクアキングカズだ。)
そうだそうだ。
そこにきての加藤一二三先生なのでございます。
テレビで何度も拝見していたにも関わらず、全く知りませんでした。
棋士引退というニュースも、勿論拝見しておりましたが。詳しくは知りませんでした。
彼は愛した将棋を、自分からは決して離していなかったのです!
知れば知るほど将棋の世界は味わい深い。
真剣勝負の最後に「負けました」と自ら申告しなければならないという。
そんな精神崩壊必須なものって他にありますか!? いや、ない!
そんな日本屈指の修羅が集うフィールド上に、誰よりも長く鎮座していたのが。そう加藤先生! カトセンです!
知って驚いたのだが。
将棋の世界では、引退しなければならない明確なラインというものが規定されている。
それは情とか気持ちとかじゃどうにもならない決まりのため、本人や多くの人が引退を望まなくとも引退が決まる。
たとえばスポーツだと、在籍してるチームの監督が辞めて欲しくないと思っていれば。本人が辞めない限りは引退ってものは無いと思う。勿論、絶対に甘いものではないのだろうけど。
音楽なんてもっとで。
本人が望み続ければライブをやり続けることは可能。求められなくても、自分さえ折れなければ歌い続けれる。どれだけ低くても可能性がゼロになることはない。
でも将棋の世界はどうやら違うらしい。
加藤一二三先生の体力気力精神力は衰えず、周囲も彼の将棋道が続くことを願っていた。規定がなければ続けただろうと本人も語っている。
尊い。尊すぎる。
最多敗戦記録という称号が物語っている。
名人になった方が、ランクが下がり引退を余儀なくされたことはそれまでなかったらしい。
イマジンしよう。
名人の座を手にした男が、規定で引退になるまで、将棋を指し続けたドラマを。
ゾッとする回数の「負けました」を口にした。
それでも辞めない。並大抵の精神力じゃあない。
そんなに全力のファイティングポーズ構え続けれるものなのか……。偉大すぎないか。
男は引き際が肝心だなんて、誰が言った。
俺には何よりも美しく見える。
将棋に愛された男、加藤一二三。
棋士こそ天職と語る彼の言葉で、俺が最もド肝を抜かれた言葉を最後に
「バッハは自分に能力があって、理屈抜きで名曲を作った。私もそうあるべきだと思った。理屈抜きで私も将棋の才能を頂いてるわけだから、ひたすら将棋を指して。良い将棋を指すことに尽きる」
抱いてくれ。
撮るものがなかったので。冬の勝負靴の定番。マーチンの8ホールを
DOUBLE SIZE BEDROOM「模倣犯深夜革命」
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