但野正和が「闘う男」をテーマに綴る月イチ連載コラム

但野正和の「闘いはワンルームで」

2017/12/20

第5回:たまにはそんな話でも

特に大きな功績は無いが。ただ辞めずに。続けてきただけ。
それだけの奴らなもんで、闘っていると語るには大袈裟ですが。でもまあ1年の終わりぐらい、それでいいじゃん。

 

バンドを始めました。
12月2日に初ライブを終えたばかり。
DOUBLE SIZE BEDROOM(ダブルサイズベッドルーム)です。。現在は俺と田村の二人組です。
あらためて、よろしくお願いします。

 

最終少女ひかさを結成したのが2013年の晩春で。その前からってことは。
俺が初めて田村に会ったのは、2012年ってことになる。季節は覚えてないが、恐らくスピリチュアルラウンジ。

俺は当時も「最終少女ひかさ」の名を名乗り、誰にも知られずひっそりとパンクロックを歌っていた。メンバーも全然違い、ボーカルに但野正和、ギターにイエスタデイマングローブ、ベースに初代ラモネス、ドラムにジョゼ。そして常にサポートギターが誰かしら在籍。(ギターのイエマンがギターを弾けないため)
俺以外のメンバーの名前や佇まいが個性的過ぎて、逆に俺が光っているという仕組みだった。(血だらけのナース服の人。文字をビッシリと書いたセーラー服の人。上裸にゼブラ柄スキニーの人。そしてスキンヘッドの俺)

その頃の田村は「芳醇な香り漂う美味しそうな名前のバンド」でベースを担当しており。共演したのが最初の出会いだった。
もちろん運命的に仲良くなるわけではなかったのだが。当時はお客さんも、知り合いの共演者もほぼ皆無だったこともあり。淋しかったせいか、お互いの存在を認識するぐらいには会話を弾ませた。
その後も何度か共演したが、知らんうちにお互いサクッと解散し。
俺はナオトくんと「ラブ&ひかさグループ」を、短期バイトの感覚で結成してみたり。弾き語りをアホみたいに詰め込んだり。そうこうしているうちに俺はシュンキと出会い、皆様ご存知であろう最終少女ひかさが誕生した。

田村がやっていたグランジバンドは解散後、他のメンバーは足を洗った様子だったが。田村だけは何かしらバンドをやっていて。
本当に一年に一度ぐらい、共演とか。見に行ったライブにたまたま出演していただとかで。その度に30秒ぐらい会話をした。
あと、ひかさのライブにも、たまーに見に来てるのを知っていた。ラストライブにも来てた。

ひかさ解散後、ひとりになった俺はすぐにメンバーの募集を始めた。
嬉しいことに何人もメールをくれて。その中には、俺が存在を知っているような活躍されているベースプレイヤーもいた。みんな丁寧なメールをくれたり、熱意溢れる文面ばかりだった。その中で、田村からのメールは「お疲れ様です。但野さんとバンドやってみたいです。」のみ。非常に軽いメールだった。

 

ノンフィクションなので、オチにもならない終わり方ですが。文字数もちょうどなので。
1年の終わりには、これぐらいがちょうどいい。いつか続きを。

よいお年を

 

 

但野正和

「インカメラは画質が荒いんですよー」と教えてくれた


但野正和 NEW PROJECT「DOUBLE SIZE BEDROOM」
MV「まるくなった」