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the twentiesのタカイリョウがおくる毎月1枚の写真とコラム

the twentiesタカイリョウの「頭を木刀でやられたのかもしれない」

2018/9/16

第5回:「最後の夏にみえた」

甲州街道を照らす錆びた街灯にカナブンが音を立てて吸い込まれていく。空っぽの缶コーヒーをゴミ箱に捨て、明大前駅から少し離れた場所にポツリとある居酒屋へ入ると白い割烹着を着た若い男が2人、「いらっしゃいまっせ!」と寝ボケた俺の両側頭部を激しく引き裂いた。

目を横にそらすと窓側の客席テーブルに座る男2人は肘をつき煙草をふかしながらビールをガボガボと飲んでいた。

「明日どうするよ?」

お盆真っ只中の8月13日。ベトつく暑さと耳を劈くような蝉の悲鳴を冷えたビールで一気に流し込み、静かに密会は始まった。

 

翌朝8時。

明大前駅に集まると一向は電車に乗り吉祥寺へ向かった。吉祥寺駅に着くなり朝マックを千年振りに胃の中へ。
息つく間もなく吉祥寺駅から中央線に乗り換え1時間。段々と窓を走る景色は緑を濃くしていく。

電車は川井駅に止まった。

the twentiesタカイリョウの「頭を木刀でやられたのかもしれない」第5回:「最後の夏にみえた」写真1

降り立った瞬間、容赦のない日差しが照りつけた。普段日の当たらない場所に生息する生物にそれは拷問だった。体は即座に拒否反応を起こす。「帰ろう」ドロッと口からこぼれた。

とほぼ同時に、ずっとずっと昔、登校中に消息をたち誘拐事件にまで発展しそうになった学校嫌いの小学生が唯一元気になる月の一つ。嬉しさと開放感の中で遊びまわったあの夏休みのクソガキが2018年の夏、突然息を吹き返した。

the twentiesタカイリョウの「頭を木刀でやられたのかもしれない」第5回:「最後の夏にみえた」写真2

昨夜、明大前の密会で3人はそれぞれ案を出した。海、川、キャンプ、高尾山、花畑、とにかく何かしたかった。ここ数年全くと言っていい程に夏を逃げ過ごしてきた。
しかし時は2018。平成最後の夏とあちこちで耳にした。制作にも行き詰まり精神も荒んでいたので気分を変えたかった。

結局決まったのは川だった。というか最初から川以外行きたくなかったんだが。
昔から綺麗な川を見ると何故だかセロトニンが大噴射する。前世は川の生物だったのかもってくらい。

駅から山道を歩き辿り着いたのは大丹波川国際マス釣り場。
場内に入ると溢れんばかりの人でごった返していた。流石お盆。来る日を間違った。
まあいい。既に小学生に巻き戻しされたおっさんにはそんなことどうでもよかった。
釣り竿を手にするとそそくさと上流へ向かった。竹で出来た釣り竿に変な虫とイクラを餌に引きを待つ。
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1時間。まったく釣れん。すぐに飽きた。
もう釣りはいい。

 

the twentiesタカイリョウの「頭を木刀でやられたのかもしれない」第5回:「最後の夏にみえた」写真3

 

すると「魚を放流します」と突然山に響き渡るアナウンス。
なるほど。これだけ人がいれば川の魚も底をつく。頑張れ魚。と、気を持ち直しそれぞれまた釣り竿を握った。

そこに両手にバケツを持ったおっさんがやって来た。

「釣れてますか?」

いえ、まったく。

「ほならいきまっせー。」

両手に持ったバケツを突然川にひっくり返す。
あ、放流ってそういうこと?
目の前をスイスイ泳ぐ魚達。イクラを垂らす。さっきまでの時間は何だったのかってくらい沢山釣れた。
すると朝マックがすっかり本体に吸収された胃袋は豊漁を知るとメェメェと叫び出した。

the twentiesタカイリョウの「頭を木刀でやられたのかもしれない」第5回:「最後の夏にみえた」写真4

胃の叫ぶタイミングは皆一緒だった。

サンソン、伊藤が手際よく火を起こす。
それをぺぽりとのんびり眺めていた。
さっきまで泳いでいた魚が火に炙られ目の前で焦げていくのを見ているとどうも申し訳ない気持ちになってきた。魚の人間への怨みはMAXに達しているだろう… が、すぐにそんなことどうでも良くなるくらい目の前で焼かれた魚は口に入れると美味かった。ありがとう魚。

奥多摩川は天使のようにキラキラと光輝き、荒んだ心をしっかりと癒してくる。

 

the twentiesタカイリョウの「頭を木刀でやられたのかもしれない」第5回:「最後の夏にみえた」写真5

気付けばさっきまでいた小学生は消え、ただただ川でビールを飲みふける64番のバッジをぶら下げたおっさんに戻っていた。

もうずっと昔のことのようで、つい昨日のことのようにも感じるあの夏休みを詰め込んだ空っぽの胴体は今も結局何も変わってないのかもしれない。
それでも確実に時間を消費し今日まで生きてきた。得体の知れない何かに急かされるように日々を過ごし、しまいには先回りし答えを自分で作ってしまう。中々に拗らしている気がする。

 

午後6時。疲労しきった体を電車に委ねながら前野健太さんの「夏が洗い流したらまた」を聴いて帰っていると色々とどうでもよくなった。もうずっとこのまま電車に乗って消えてしまうのもありだと不思議な時間を過ごしていた。
言いようのない脱力感は久しぶりの夏を味わったおかげか、普段寝る事の無い電車で少し眠った。良い一日だった。

the twentiesタカイリョウの「頭を木刀でやられたのかもしれない」第5回:「最後の夏にみえた」写真6

the twentiesタカイリョウの「頭を木刀でやられたのかもしれない」第5回:「最後の夏にみえた」写真7

 

このまま帰るのは何だかもったいない。
降り立った吉祥寺で3人はお好み焼き屋に入った。しかしそこで出会う店主は、今日体感したこれまでの11時間全ての出来事を無かった事にしてしまうのだが、此処には書けない内容なのと、このままだと永遠にこのコラムは終わりそうにないのでこの辺で終わりにします。そもそももうこれはコラムではない、ただの日記だな。長々とすまねえ。それではまた。