元THE STALIN(ザ・スターリン)の遠藤ミチロウが自らのドキュメンタリー映画を撮った。タイトルは『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』。遠藤ミチロウの楽曲がそのまま映画のタイトルになった。
©2015 SHIMAFILMS
内容は2011年、還暦を迎えた遠藤ミチロウの旅(全国ツアー)を追いかけたドキュメンタリー。アコースティックギターを1本背負って、全国でうたってまわる遠藤ミチロウの姿と全国で彼を迎える知人やライブハウスのオーナーとの対話を通して、彼の現在地(音楽的なスタンスやミュージシャンとしてのあり方も含め)を描き出そうとした作品だ。
演奏シーンでは、80年代のSTALINの衝動と現在の遠藤ミチロウの表現がベーシックな部分では何ら変わりなく繋がっていることを知らされる。筆者は80年代初頭、STALINのライブを後楽園ホールと明治学院大学の学園祭で目撃した。後楽園ホールのライブでは、爆竹が客の足下で鳴り響くなか、凄まじきSTALINコールで、とうとう前座のバンドはステージに出てこられなかった。それくらいものすごい空気が漂っていた。この映画のなかでうたう遠藤ミチロウの姿は、STALINの「衝動」と同質のものだった。(映画のなかでも自ら語っていたが)STALINのステージ・パフォーマンスが予定調和になったことも否めない。全国をギター1本でまわる遠藤ミチロウの姿は、パブリックイメージもふくめたあらゆる決め事から解放されたかのようだ。そうすることによって、再び、彼は「衝動」を自分の手へ取り戻したのではないだろうか。監督にとって、この作品を撮ることは、自身のミュージシャンシップの確認作業という意味もあったと思う。
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ところが、この映画は「音楽をめぐるドキュメンタリー」では終わらなかった。撮影中にまったく予期せぬ出来事が起こったのだ。2011年3月11日の震災だ。それを引き金に起こった東京電力福島第一原発事故によって、遠藤ミチロウの故郷・福島は危機にさらされる。震災と原発事故をきっかけに遠藤ミチロウは故郷の福島、そして東北という土地と向き合わざるをえなくなる。その時点で、この作品に「東北との対話」という要素が加わる。遠藤ミチロウ曰く「震災がなかったら、家族を映画に登場させることはなかっただろう」。そして震災をきっかけに、遠藤ミチロウは東北と対話をはじめる。福島へ出向いて歌をうたう。誰かと話をする。STALINを復活させ、スタジアムでライブをやる(この日、初めて母親がSTALINのライブを生で観たという)。母親に会いに帰る。
しかしながら、このドキュメンタリーにたどり着くべき目的地や答えや遠藤ミチロウの明快な主張があるかというと、そうではない。もちろん福島と東北をもう一度ポジティブな地点へ持っていきたいという思いは伝わってくる。しかしそれが映画のクライマックスやオチとして用意されているわけではない。明快な解のない対話の連続。だからといって対話をやめてしまえば、そこで終わりだ。それは監督にも、この映画を観ている私たちも。この映画は、雷鳴のなか、それでも演奏をやめずに、遠藤ミチロウが路上でうたうシーンで始まる。この冒頭のシーンがこの映画を象徴していた。
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2016年1月25日(月)、新宿K’sシネマで上映が終わったあと、同じ東北出身の画家・奈良美智さんと遠藤ミチロウ監督との対談が行われた。これは上映を開始した1月23日(土)から29日(金)まで、映画監督の阪本順治さん、ミュージシャンの遠藤賢司さん、踊り子の一条さゆりさん、映画にも登場する詩人の三角みづ紀さん、銀杏BOYZ の峯田和伸さん、漫画家の上條淳士さんなど、毎夜、著名人が監督と対談をするという企画だ。筆者は奈良美智氏の回におじゃました。そこでも東北談義に花が咲いた。

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監督の故郷は福島、奈良さんは青森で、同じ東北でも端と端だ。監督が住んでいた福島はどちらかというと北関東の文化圏にあったそうで、ディープな東北をうらやましく思っていたという。監督はそれを解消するためにどうしたかというと、山形の学校へ行く。普通、若者は東京を目指すのだが、監督は逆に北を目指したわけだ。奈良さんは、監督のそういう土着的な東北のマインドがSTALINの楽曲にも反映されていたからこそ、STALINは他のパンク・バンドとはちがうポジションにいられたのではないか、と分析していた。
楽屋では監督と奈良さんで東北コンプレックスの話をしていたそうだ。最初に二人が舞台にあがったときに「楽屋で話が盛り上がりすぎて、ここで話すことがない」といって観客を笑わせた。監督は、長い間、東北弁コンプレックスがあったのが、震災以降、それがなくなったそうだ。曰く「“オデッセイ SEX”を東北弁でうたうようになって、財産だと思うようになった」。だからといって、東北に住みたいかというとそうではないらしい。どうしても旅に出てしまう、と監督はいう。旅をし、各地で迎えてくれる人と対話をするということが、東北との関わり合い方を捉え直すきっかけにもなっているのかもしれない。それは今回の映画とも結びつく。
他にも、青森のねぶた祭りと盆踊りの例をあげ、狩猟民族は縦にはね、農耕民族はすり足だ、という話や押さえつけられたなかでの出したいと思ったものが本当の表現という話など、およそ25分という短い時間だったが、とても興味深い対談が繰り広げられた。
『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』は、現在、新宿のK’s cinemaにて2016年2月10日(水)まで一日三回、2月11日(木)からは21時からのレイト・ショーで上映。3月下旬からは東北で、4月からはさらに全国で上映される。くわしいスケジュールは公式サイト(http://michiro-oiaw.jp)まで。(Text by 森内淳/DONUT)
INFORMATION
©2015 SHIMAFILMS
『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』
2015 年/日本/カラー/DCP/5.1ch/102 分
監督:遠藤ミチロウ 製作・配給:シマフィルム株式会社
- 公式サイト:http://michiro-oiaw.jp
プロフィール
遠藤ミチロウ(えんどう・みちろう)/1950 年福島県生まれ。1980 年、パンクバンドTHE STALIN を結成。過激なパフォーマンス、型にはまらない表現が話題を呼び、1982 年、石井聰互(現・石井岳龍)監督『爆裂都市』に出演。同年メジャーデビュー。1985 年、THESTALIN 解散後、様々なバンド活動を経て1993 年からはアコースティック・ソロ活動を開始。21 世紀に入り多彩なライブ活動を展開、さらに詩集、写真集、エッセイ集なども多数出版。また、中村達也(LOSALIOS)とのTOUCH-ME、石塚俊明(頭脳警察)と坂本弘道(パスカルズ)とのNOTALIN’S、クハラカズユキ(The Birthday)と山本久土(MOST、久土‘N’茶谷)とのM.J.Q としても活動。2011 年、東日本大震災の復興支援として「プロジェクトFUKUSHIMA!」を発足し、数々の活動を展開する。同年の還暦ソロツアーを中心に撮影を行い、初監督映画『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』を製作。2014 年に突如膠原病を患い、入院。その時期に書いた詩集『膠原病院』を出版、同時にアルバム『FUKUSHIMA』を発表。2015 年、アンプラグドパンク民謡バンド「羊歯明神」、自身最後のバンドとして「THE END」と2 つのバンドを結成。さらに精力的な活動を始動している。
公式サイト:http://www.apia-net.com/michiro/